Risky集合最後の日


シュガーヴィレッジ2005春版



愛媛県松山市三番町

<2005/24&25/Apr>

Report&Photo byおっちゃん

by Cried Light


 リスキー完全閉店の知らせがマスターであるクーやんによってBBSに書込まれたのはエイプリルフールも明けた4/2の事でした。 ネット上だったので皆のざわめきこそ聞こえませんがその後の書き込みなどから皆の驚いてる様が伺えました。リスキーと言えば Cried Light においては夏のキャノンボール の集合場所として皆さんにも広く知れ渡ってるのですがそれ以前に僕は23歳の頃から18年間にも及ぶ付き合いが有ったのです。 クライドでは最初キャノンボール集合地点だったリスキーもいつしかマスターとメンバーとの友情が芽生えその存在はとても大きな物と成っていました。それがゆえに今回の閉店は皆にとっても大きな出来事だったのですが皆さん自分の気持ちだけで勝手に店が無くなる事を反対するのでは無くクーやん(マスター)の新たな 門出を静かに応援するのでした。

4月いっぱいで閉店との事だったのでリスキーとのお別れも兼ねて月末の4/24(日)に松山市三番町界隈で行われた音楽イベント『Sugar Village』(リスキーも会場として参加)に集まれる者だけで集まる事に成りました。僕とたけい君は出演者( EDF )だったのでリスキー最後の熱いライブパフォーマンスを聴かせました。


1、出発前夜


前日23日にも同じくたけい君達(シュガヴィレとは別メンバー)と滋賀県の甲賀町でライブだったのですが、ライブも終わり打ち上げに向う時悪夢は始まりました。

セルモーターがいきなりおかしくなったのです。キーをオンにしてもカチっというだけで動きません。2CVはセルが壊れてもクランクがけでエンジン始動が出来るのですが僕のエンジンはポイントのカムが歪んでて点火時期が怪しいのと随分圧縮が下がって来てるのでセルの勢いで無いと始動しないのです。まあ何度かくり返すと何回かに一度は働きエンジンをかけてくれますが『もし打ち上げ先でセルがお亡くなりに成ったら』とか『帰り道の真っ暗な中でエンジントラブルに成ったら始動できない』とか『そんな事に成ったらウチの人に怒られる』って事が頭を過りもう恐ろしくて......、 打ち上げ会場に着いたらメンバーを残して僕は挨拶してすぐに家に帰ったのです。


2、出発の朝


朝9時半に徳島港で和歌山からフェリー で渡四国(?)してくるパテさんと合流の約束をしてたので6時起床。前述のそんなでシュガーヴィレッジ当日最初の仕事はセルモーターの交換でした。病に伏したセルは以前オーバーホールしたものだったのですが僕の人並み外れた年間走行距離に耐えかねてここに来て不調を。一方交換したセルはまだ元気なのだけどピニオンギアセンターの軸を支える輪ッかが飛んでしまっててオーバーホールが必要なもの。とりあえずまったく回らないセルよりはましなので今回の旅限定で載せかえる事にしました。

<セル後日談>
南方電気に持って行ったのですが本体ではなく本体横のスイッチ部分お亡くなりとの事。純正は無いので代替え品探してもらったら¥45.000+消費税との事だったので結局修理は断念。マグネットスイッチの死んだのとピニオンセンターの輪ッかの無いのを2コ1にして自分で直しました。

約15分で交換完了、7時40分頃藤井寺の実家を出発して徳島迄は約2時間の高速クルージング。久しぶりの 明石海峡大橋&大鳴門橋 に胸ワクワクで朝の高速道路を飛ばしました。(飛ばないんだけど)

   
(左)いよいよ出発 (中)これを抜けると明石海峡 (右)明石海峡大橋

明石海峡大橋を渡って淡路島をクルーズ、途中『室津SA 』でトイレ&コーヒー休憩タイムを取り再び四国目指してクルージング、何かのイベントか沢山の各種スーパーカー達に追いこされながらもこちらはマイペースで旅を続けます。船内のパテさんとは助手席のウチの人経由でメールや携帯でやり取りしてたので少し遅れる事も伝えてあったのですが一足先に四国上陸したパテさんに 洲本 (淡路島)辺から無線で呼んでみることにしました。とは言ってもまだ遠いので直接は電波が届きません。そんな訳でキャノンボールで培われたテクニック JR5WQ『おこうつ山レピーター』 (中継局)を使う事にしました。とは言っても『おこうつ山レピーター』までの距離も遠いのですが弱いながらも何とかパテさんと交信成功、これで電話代は要らなく成りました。

     
(左)『室津SA』にて休憩 (中)謎のスーパーカー軍団 (右)今度は鳴門大橋

淡路島をひたすら南下する我々、やがて最南端に達し『鳴門大橋』を通過、四国は 徳島県 に入りました。この頃もまだパテさんとはレピーター を使っての交信だったものの合流場所変更など様々な連絡事項をやりとりしながら『鳴門IC』目指して走るのでした。

3、合流

そんなで合流と吉野川沿いののどかなクルージングを楽しむため『鳴門IC』で高速を下りた我々ですが(本当はず〜っと高速で松山へ行ける)、この頃からレピーターを使わなくても直接無線交信が出来るまでに近付いてたのでお互い吉野川を挟んであっちとこっちで合流場所どうするか等話しもって西に進むのでした。

お天気も良くって本当にのどかな朝、屋根を開けて四国の空気いっぱい吸い込みながらのドライブの気持ち良い事と来た日にゃ。やがてあれはR192沿いの 鴨島町だったか山川町(どちらも今は吉野川市なの?) だったかのエロ本の販売機の前で無事合流を果たすのでした。

合流後話題は僕が先日中古で買って来たビデオ映画『 虹をつかむ男 』(山田洋次監督/西田敏行主演:脇町をはじめこの界隈が舞台)の話題になり僕がどうしてもオープニングシーンで電車の走ってる 穴吹町 のあの場所に行きたかった事から(とは言ってもいつも通ってる所なのだが)そこを通る事に成りました。そして、その場所に来た時対岸の脇町からヘリコプターが離陸して頭上を通り過ぎて行きました。「おかしい、あんな所に飛行場やヘリポートは無いはず」って事で探検したく成り吸い込まれるように脇町へ、結局映画の舞台の街へ行く事に成りました。

今回脇町では観光はせずトイレ休憩のみと成りましたが映画で見た沈下橋が見えた時「あ!ここで田中裕子さんが犬連れて歩いてたんや」ってミーハーな感動が込み上げて来ました。

パテさんが電線が欲しかった事も有り前回のキャノンボールで寄ったデイスカウントストアへ行きました。と、その時、爆音と共に巨大ヘリコプターが隣の病院の駐車場に降りて行くではありませんか!!!。よおく見ると駐車場には吹き流しも有りそこは緊急用のヘリポートである事が解りました。が、しかしこの日はそんな緊迫した雰囲気は無くヘリポートの周りにはヘリコプター見物の人々で賑わいヘリコプターも降りて来てはまた離陸し、また五分程しては降りて来てをくり返しています。どうやらこの日はイベントが行われてるみたいで病院のヘリポートを利用しての遊覧飛行が行われてた気配でこれで謎は解けたのでした。(乗りたかったのにい)


 
(左)合流後脇町にて  (右)突然ヘリコプター着陸!

4、饂飩巡礼

とは言っても今回僕はお仕事で公務の旅、ゆっくりはしてられません。饂飩巡礼言うよりもお昼を満濃町あたりで饂飩で済ませた感じ?(語尾を上げるのはやめなさい)。

本当は映画の余韻もあったので脇町から程近い半田町のR192沿いの謎の小屋で半田素麺を食べようと思ってたのですがあいにく定休日だったので讃岐に行く事に成りました。そんなで讃岐へはいつもの美馬町からの峠を使わずに吉野川北岸を川沿いに池田町まで行ってそこから猪鼻峠越えでアプローチしました。あくまでも吉野川沿いの映画の面影辿りたかったのです。

讃岐では『山内』は観光バスが来ててババ混みでアウト、いつもの『丸美家食堂』と初挑戦『さぬきや』に行きましたって結局巡礼しとるがなってか。

 
(左)讃岐突入    (右)丸美家食堂にて

 
(左)食べる前は手を洗いましょう (右)さぬきやさん

『さぬきや』さんは美味しかったのですがお値段がちと高かった。というかそれでも大阪だったらかなり安い値段なのですがね。(爆)

この後はいつものルートでR11豊浜目指して走り僕がバテバテだった事から道の駅『豊浜』にて少し休憩しました。

 
(左)道の駅『豊浜』にて  (右)しばし休憩

 
(左)くつろぐパテさん  (右)治療受けるパテさん

ドーピングも済ませ少し回復したところでこの後川之江から途中『石槌SA』での休憩を挟み一気に高速道路で松山迄行きました。到着は5時だか6時だかそんなもんでした。

先ずは予約してたホテル『TOP INN』に、ホテルに着くと駐車場には今回車やバイクで駆け付けた仲間の乗り物が止めてあっていよいよ夜が楽しみってところで1ペ−ジ目はここまで。

   




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